また「死ぬ」と言い出したけど

死ぬ死ぬ言う人は、死なへん
と、取り合いませんでした。
一応、私の両親には「また言い出した」と伝えてはいました。
ある日、元夫が、思いつめた表情で私の前に正座して

頼むから、離婚を考え直してくれへんか
と、半分泣くように言いだしました。
でも、私は

いや、離婚する
と、全く受け入れませんでした。
たぶん、この辺りで、元夫は私の両親に手紙を書いたようです。
僕には分からない
手紙の内容は
家庭らしい家庭で育ってきてないから、僕は父親として、子供にどう接していいか分からないんです
そう書いていたらしく

考えてみれば、あの子も可哀想な子や
って母は言ってたけど、私にとっては「父親として子供に」云々が問題の全てじゃない。
話がずれてると思いました。
人生で一番辛い決断
色々と私の父は考えたのだと思います。
私の事
元夫の事
子供達の事
父の出した結論はこうでした。

子供は、元夫君に渡しなさい

嫌や!
絶対嫌や!
私は、「なんてことを言うんだ」という思いで、拒否しました。
父の生い立ち
父の「お父さん」と言う人は、父が2歳か3歳の頃に病気で亡くなったそうです。
「父のお母さん」は、「父のお姉さん」をお舅さんとお姑さんのいる家に残し、まだ小さかった父を連れて家を出たそうです。「父のお母さん」は頑張って働いたけど生活が出来ず、仕方なく父を「父のお母さんの兄」の家に養子に出しました。
その家には子供がいなかったんです。でも、父が養子に行って間もなく、子供が産まれました。
父は「要らない子」となってしまい、ひどい仕打ちをされ育ってきました。
どんな酷い仕打ちをされたのか、聞いて涙が止まりませんでした。
(父が亡くなる前に、母の姉に手紙を書いていたそうで、父が亡くなってから叔母が母に送ってくれました。その手紙に、どんな扱いをされて育ってきたのかが書かれてありました)
父は、育ての親のことも、生みの母のことも恨んだそうです。
でも、私が知っている・私が見てきた父は、育ての親にも尽くし、生みの親にも尽くしていました。
そんな背景があった上での、「子供を手放しなさい」という父の決断でした。
父の決断

たとえどんな人でも、子供にとっては父親や。
子供には、何も(暴力)はしないだろう。

嫌や。
そんなことは、分からへん

子供は必ず、母親の元に帰って来るから。
父の友人の娘さんも、子供を抱えて離婚した人がいるそうです。
生活が苦しいからパートを掛け持ちして、何度も過労で倒れたそうです。
そんな人を何人も見てきたと言うのです。

お前が倒れたら、子供まで倒れてしまう。
お前は、そんなに身体が丈夫じゃないんやから。
お前一人くらい、ワシが面倒見たる。
そう言われても、やはり子供を手放すとは言えませんでした。
そして

言う事が聞けへんのやったら、もう一切何にも言ってくるな!
と、突き放されました。
私の決断
私は、父の決断に従うことにしました。
「子供は必ず母親の元に帰って来る」
その言葉を信じました。
でも、その日から、辛い ただ辛い 毎日になりました。
6年生にもなる娘を、毎晩膝に抱き、娘も私から離れません。
子供達にはどう伝えたかも、頭に残っていません。
こうしてブログを書いている今も、思い出すと涙が止まりません。
この決断を下してから、元夫は強気に出てきました。

早よ出て行かんかい!
と、一日でも早く私を追い出そうとし始めました。
父の愛情
父は、孫よりも娘の私を一番に考えた決断だったと思います。
父の愛だったんだと思います。

これから恋愛をしなさい
そう静かに言いました。
どの選択が正しかったのか、分かりません。
最期の時に「これで良かった」と言えるように、この選択があっての最期を迎えられたと思えるように、これからも生きていきたい。
そう思います。
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました😊
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