前回の記事の続きです👇
子供のことを思い出すと胸が苦しくなったので、書くのに少し時間を置きました💦
両親に話しました
多分、父と母、別々に会った時に話したと思います。記憶が定かでないです😅
父も母も、離婚することに反対はしませんでした。
力になってくれました。
慰謝料について

仕事を辞めずに勤めていたと計算した分をもらわないとあかん。
そして

これは喧嘩と同じや。
やるか、やられるかや。
「離婚は喧嘩と同じだから、負けたらあかん」と言うようなことを言っていました。
そして、元夫と慰謝料の交渉をしてくれて、世間一般から考えて驚くような金額で決着をつけてくれました。
その慰謝料の金額を聞いた時、

助かった!良かった。
と一安心したし、父親には感謝しました。
おかしなことを考えた私😅
金額を聞いてちょっとおかしくなった私は

この慰謝料の金額で、中古物件を買って貰って、子供と住む!
と、子供を連れて小学校の通学範囲内で、中古物件を見つけて内覧に行ったんです💦💦

慰謝料くれ言うたり、家買え言うたり、おかしいんと違うか!
と言われて、冷静に考えて反省しました💦💦
「金額的には一緒やん?」って、かなりズレたことを思ってしまってました😅
今考えると、とんでもないことを言ってるなと、自分のことながら思います(-_-;)
子供の取り合い
この辺りから、お互いに子供を渡さないと譲りませんでした。

どうやって子供の面倒みるんよ?
仕事から帰って、ご飯作れへんやろ。できる訳ないやん。

絶対に、子供は渡さへんから!
そう言っても、全然向こうも引き下がりません。
色々と調べました。
親権はあちら。
監護権は私。
これなら、私は子供と一緒に暮らせる!
ややこしい問題がありました
今はどうなっているのか分かりませんが
あの時代は、親権と監護権を分けた場合、「子供に関する公の書面は、親権者に送られる」そうなんです。
小学校・中学校に入学するときなどの郵便物は、親権者すなわち元夫に送られると。
あの人なら、素直に書類を渡してくれなかったり、私を飛ばして自分が行動を起こすな。とか、のちのちに面倒なことが起こるのが目に見えて分かりました。
今は両親ともが子供に関する権利を持って離婚できる時代になっているようだけど、まだまだそんな時代ではありませんでした。
そうこうしているうちに、また

子供と離れるんだったら死ぬ
と言い始めたんです(-_-;)
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました😊
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